ogurakaikei’s ブログ

会計・税務及び経済関連(時々雑談)

中世における対中国貿易と東アジア経済(1/4)

 近年では、古代から中世への移行期を院政期(11世紀末~13世紀初頭)に求める見方が主流です。この院政期に、対内的には荘園制が確立し、対外的には日宋貿易が展開され、渡来銭の大量流入が始まりました。平安時代の貿易は大宰府を中心とした管理貿易が主で、それは12世紀中頃まで続いたとされますが、大量の宋銭が流入するのは12世紀以降でありました。11~12世紀の宋代の中国では、都市の人口増大と経済発展が顕著に見られ、杭州・福州・泉州といった港市からは海商らがアジア各地に進出しました。

 この時期にアジアにおいて遠隔地貿易が発展した背景には、宋での造船・航海技術の発達があり、羅針盤を使用した高度な航海技術のもとにジャンク船が日本からインド西海岸まで進出しました。宋船が来航した博多では、「唐坊」という宋人の営業拠点となる定住的な居留地が形成されました。朝鮮商人の来航も盛んで、博多は一種の国際都市の様相を示しました。12世紀前半には有力寺社が博多居留の宋商人に資金を出し、宋に派遣した貿易船による利益の配分を受ける形態が取られ、そうした寺社に帰属し、宋・朝鮮商人と取引する日本商人が輸入品の販売と輸出品の集荷を委ねられました。なかには、寺社の荘園年貢輸送と国内外の商品取引を介して、大きな利益を上げる者もいました。

 

中世における対中国貿易と東アジア経済(2/4)に続きます。

 

参考文献

・日本経済の歴史(名古屋大学出版会)