ogurakaikei’s ブログ

会計・税務及び経済関連(時々雑談)

中世における朝廷・幕府・大名の経済政策(2/5)

 治承・寿永の内乱後、1183(寿永2)年に源頼朝が朝廷から東国行政権を委譲されたことを実質として、1192(建久3)年に征夷大将軍に任命され、名実ともに鎌倉幕府が始動しますが、鎌倉時代の支配体制を鎌倉幕府に求めるかどうかは中世国家の性格規定に関わる重要な論点となっています。古代から中世への転換を、公家政権による律令国家から武家政権による封建国家への段階的変化と捉える見解では、鎌倉幕府の成立が封建社会への道の第一歩となります。一方、古代から中世への連続性を評価する立場からは、伝統・故実にのっとって儀礼・学問を行う公家と、国家を宗教的に護持する寺社と、武力で国家を守護する武家、それぞれの権門が職能を分担して相互補完的に一つの国家を形成したと解されます。後者では、天皇は分担された職能の頂点に位置する封建国家の国王とされ、古代から中世への転換で天皇の地位が弱体化したのは、権力の分散状況に対応した特徴と捉えられます。

 

中世における朝廷・幕府・大名の経済政策(3/5)に続きます。

参考文献

・日本経済の歴史(名古屋大学出版会)