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会計・税務及び経済関連(時々雑談)

中世における朝廷・幕府・大名の経済政策(4/5)

 1454年の享徳の乱を契機に東国で騒乱が始まり、さらに1467~77(応仁元~文明9)年の応仁・文明の乱で、京都も長期の戦乱に巻き込まれ、戦国時代が到来しました。足利将軍家の権威失墜とともに、各地で戦国大名が覇権を争い、領国(分国)内での自立的な支配が行われました。その経済政策のなかには近世につながる画期的なものもあり、ここでは貫高制を取り上げます。

戦国大名は領国支配確立のために軍事力を強化する必要があり、年貢収取の徹底が不可欠であります。そのために小田原北条氏領国では貫高制が推進されました。領内では、田地一反につき500文、畑地一反165文という基準年貢高が設定され、検地によって郷地に田畑の面積が確定され、それをもとに郷地の年貢額が決められます。村々の基本年貢額の100分の6が役銭として賦課され、家臣への知行もこの基本年貢高をもとに与えられました。知行高に応じた軍役が課され、北条氏は役銭収入を安定して確保するとともに軍事動員しうる人数を常時把握できました。

 

中世における朝廷・幕府・大名の経済政策(5/5)に続きます。

参考文献

・日本経済の歴史(名古屋大学出版会)