ogurakaikei’s ブログ

会計・税務及び経済関連(時々雑談)

18世紀における東アジア世界(2/2)

正式な貿易港として幕府が管理貿易を行った長崎、朝鮮との通交の窓口となった対馬琉球との交易を行った薩摩、アイヌとの交易を行った松前の「四つの口」のうち、琉球口・朝鮮口には「通信の国」としての役割分担があり、長崎貿易と異なり、17世紀は特に規制はありませんでしたが、1686年に琉球口貿易・朝鮮口貿易ともに幕府から貿易制限令が下りました。薩摩藩琉球口貿易を藩財政の貴重な財源と認識していましたが、それ以降は統制を回避するためのインフォーマルな藩営貿易を行うこととなりました。この藩営貿易は、進貢船・接貢船を琉球首里王府に派遣し、首里王府が実際には清などとの貿易を行っており、琉球を仲介する進貢交易でありました。その意味では、琉球と清との冊封関係が幕藩体制にとって大きな意味をもちました。

参考文献

・日本経済の歴史(名古屋大学出版会)