ogurakaikei’s ブログ

会計・税務及び経済関連(時々雑談)

中世における対中国貿易と東アジア経済(4/4)

 16世紀中頃の大内氏滅亡を画期として日明貿易は衰微し、再び倭寇の非合法活動が盛んになり、彼ら後期倭寇は、銀を新たに交易品に加えました。東アジアでは、16世紀初頭に朝鮮で銀山開発が進み、その銀が日本や明へ流入しましたが、1540年代以降は日本で急速に銀山開発が進み、日本の銀が朝鮮や明へと流出しました。16世紀には、新大陸のスペイン植民地でも銀山開発が進み、ポルトガル・スペインのアジア貿易進出するに伴って新大陸の銀が大量に明に流入しました。

 ポルトガルは、中国のマカオを拠点に、日本へ生糸、絹織物、綿布、陶磁器、薬種などを売って銀を入手しました。そして輸入生糸の利益に着目した豊臣秀吉は、奉行を長崎に派遣し、ポルトガル商人から生糸を直接買い付けました。ポルトガルに遅れて日本との貿易に乗り出したスペインは、植民地フィリピンのマニラを拠点に貿易を拡大したため、新大陸の植民地から銀がマニラに大量に流入し、その銀を目指して中国や日本の商船が多数マニラに来航しました。日本におけるフィリピンからの主な輸入品は、中国産生糸、鹿皮、スペイン産ブドウ酒、ガラス製品などで、日本からフィリピンへの主な輸出品は、小麦、絹織物、乾肉、刀剣などでした。東南アジアとの貿易の展開とともに日本人の東南アジア移住も見られ、マニラなど各地に日本人町が形成されました。

 

参考文献

・日本経済の歴史(名古屋大学出版会)