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会計・税務及び経済関連(時々雑談)

中世における朝廷・幕府・大名の経済政策(3/5)

 鎌倉幕府は1333(元弘3)年に滅亡し、後醍醐天皇による短期間の建武の新政を経て、1336(建武3)年、足利氏が幕府を開き室町幕府が始まりました。皇統が南朝北朝とに分かれて、それぞれを支持する公家・武力勢力が離合集散を重ねましたが、政権は次第に安定し1392(明徳3)年、3代将軍足利義満の代に両朝は合一を見ました。幕府財源として、義満期には日明貿易の占める比重が高かったと見られますが、遺明船は毎年派遣されるわけではなく、臨時収入であり、定期的財源は、①御料所②土倉酒屋役③守護出銭④地頭御家人役⑤一国平均役で構成されました。

4代将軍義持の代には、日明貿易の中断などから財源が不足し、土倉役・酒屋役と守護出銭とが重要な補填財源とされました。土倉役・酒屋役は、京都周辺で営業する土倉(倉庫・金融)業者・酒造業者から徴収する税で、土倉・酒屋は、土倉役、酒屋役を負担する代わりに、高利で質物を預かる営業を認められました。守護出銭は在京守護から徴収する税であり、その2つの財源は幕府が在地に関与することなく直接役負担者に賦課し、その富を吸収することを可能にしました。

 

中世における朝廷・幕府・大名の経済政策(4/5)に続きます。

参考文献

・日本経済の歴史(名古屋大学出版会)