ogurakaikei’s ブログ

会計・税務及び経済関連(時々雑談)

中世における朝廷・幕府・大名の経済政策(5/5)

 織田信長の経済政策として、「楽市楽座令」と俗称される政策がありますが、戦国大名や織田・豊臣政権が一方で、同一地域の特権商人の「座」を保護していることや、施行対象地が城下町以外に地方市場・寺社町を多く含んでいることが明らかにされ、それは商人座の解体を直接の目的としないことが明らかとなりました。つまり城下町や地方市場の支配や秩序維持を目的とすることから、厳密には楽市令と考えるべきでしょう。楽市令には、すでに存在していた楽市の機能を戦国大名が追認保証した保証型楽市令と、新城下町に楽市を設立するための政策型楽市令の2種類がありました。

 豊臣政権でも、楽市令が継承されたと考えられますが、経済に関わる独自の政策は、全国規模での検地(太閤検地)と刀狩り、海賊停止令です。太閤検地では、耕地の一筆ごとに耕作責任者が定められ、耕作責任者は年貢納入の義務を負いました。また有力百姓が他の百姓に耕地を貸与して小作料を徴収したり、賦役を課すことが禁じられました。検地を受けた百姓は、耕作権を保証される一方で、他地域への転出や耕作を放棄して商人になることを禁じられ、検地帳に記載された土地の耕作を強制されました。年貢は石高を基準に決められ、各村で確定された年貢高を集積することで一国の年貢高が確定しました。豊臣政権はそれをもとに家臣・大名に知行をあてがい、その石高に応じて軍役を賦課しました。太閤検地は、年貢収取システムであるとともに家臣・大名支配の基礎となりました。

 

参考文献

・日本経済の歴史(名古屋大学出版会)