ogurakaikei’s ブログ

会計・税務及び経済関連(時々雑談)

17世紀における東アジア貿易と三貨制度(3/3)

三貨制度の特殊性に規定されて三都で両替商が成長すると、商業が拡大するとともに両替商が信用の供与を求められました。特に江戸時代の商品流通が領主米(年貢米)の商品化を基本とする流通構造であったため、その領主米の集散地として大坂が最も重要となり、大坂の両替商が信用供与を行う中心となりました。幕府は大阪の両替商のうち信用供与を行える有力両替商の中から10軒を選び、十人両替と称して、幕府の金銀出納を行わせました。大坂の問屋は各地の仲買や生産者に仕入銀・前貸銀を貸し付け、後日集荷した商品の販売代金で元金と利子を清算しました。一方大坂の問屋は、江戸などの問屋・仲買への販売においては掛売りであり、仕入先への前貸信用と販売先への延払い信用を行った大坂問屋は、膨大な資金を必要としました。大坂の問屋が自己資金でそれを賄うのは難しく、彼らに両替商が資金供給し、両替商同士でも融通し合う親両替・子両替の組織もでき、親両替の頂点に十人両替が位置しました。

参考文献

・日本経済の歴史(名古屋大学出版会)