17世紀の日本は国内で豊富に金・銀・銅の金属を産出し、これらをもとに近世日本では、自国貨幣が鋳造され、金・銀・銭(銅)からなる三貨制度と呼ばれる近世の貨幣制度が成立しました。16世紀になって明にヨーロッパから大量の銀が流入し明が銀経済に転換すると、明銭(銅銭)の日本への流入が激減し、西日本ではそれまで銭を支払手段としていた取引がいっせいに米で取引され再び商品貨幣の時代が訪れました。その後貿易を通して銀貨が流入し始めると、西日本では銀貨で取引が行われるに至りました。一方外国貿易との関係の薄かった東日本では、従来の銭貨が使用され続けましたが、銭貨供給が不安定であったため新たな通貨として徳川氏が金貨を鋳造しました。
17世紀における東アジア貿易と三貨制度(3/3)に続きます。
参考文献
・日本経済の歴史(名古屋大学出版会)