ogurakaikei’s ブログ

会計・税務及び経済関連(時々雑談)

中世における渡来銭の流入と手形の発達(2/3)

 11世紀から12世紀中期にかけての商品貨幣の時代は、体積や重量、保存上の問題からの商品貨幣の弱点を補完する目的で信用経済が展開しました。それが支払指図書で、荘園領主が所管の倉や所領にあてて米銭の支払いを命じた書類(切符・米切符)が、別の支払いにも使用されました。ただし、こうした切符・米切符は、不特定の第三者に譲渡されるだけの信用力をそなえておらず、渡来銭流入後の12世紀後半以降、取引では主に渡来銭が用いられました。13世紀に入ると、銭貨流通を前提とした新たな手形である利息付替銭・替米が登場し、それらは、依頼人Aが引受人Bに一定期間後に利息を付けて元金を返すことを約束した手形を渡し、銭もしくは米を借りるというものでありました。13世紀、その貸主は支配階層が主であり、商取引での利用は少なかったと思われます。

 14世紀に入ると、送金用替銭・替米が考案されました。送金用替銭・替米は、依頼人Aが、引受人Bから銭や米を受け取る代わりに請取状(借用状)を渡します。そこには遠隔地に居住する支払人Cの名前が記されており、BはCに請取状を提示して支払いを受けます。これを用いるとBが遠隔地まで銭や米を運ぶことをAとCが代行したことになり、単なる銭や米の信用ではなく、商取引で遠隔地間のネットワークを有する商人が依頼人となって送金を引き受けました。

 また、14世紀初頭には、より進化した手形として割符が出現しました。替銭・替米は1回限りの個別的資金融通でありますが、割符は複数回の譲渡が可能であり、しかも銭建てで、額面が10貫文(=1万文)と、定額のものが圧倒的に多かったのです。15世紀には、割符を1個単位で数え、額面5貫文の割符を半割符と呼ぶ用例が見られます。割符の文面としては、振出人(依頼人)が後日の支払いを約束したものと、振出人が別の支払人に支払いを委託したものとの2種類があります。振出人には幾内諸都市の割符屋・替銭屋が多く、割符が遠隔地商人へ下ることには輸送や治安上の支障があり、文書として携帯できる割符は便宜にかなうものでありました。ただし、取引で生じる端数の支払いに対応するため銭は必要であり、割符と併用されたと考えられます。

割符は中世の手形の最も深化した形と言えますが、16世紀にはほとんど流通しなくなりました。背景には、15世紀後半の応仁・文明の乱で京都が荒廃し、荘園経営の危機や戦乱に伴って公家や守護大名と家臣団が領地に下向して京都での商品需要が減少した結果、割符の需要が減少したことがありました。また、戦国期、経済秩序がより不安定となるなかで信用貨幣としての信用力が低下し、現物として価値をもつ金属貨幣での取引が選好されたこともあります。割符に代わって近距離間での決済手段には1回限りで使用される替銭・替米が利用され、遠隔地間での決済手段としては金が利用されるようになりました。

 

中世における渡来銭の流入と手形の発達(3/3)に続きます。

参考文献

・日本経済の歴史(名古屋大学出版会)