ogurakaikei’s ブログ

会計・税務及び経済関連(時々雑談)

18世紀における貨幣改鋳と幕府の経済政策(1/2)

江戸時代の三貨制度は1660年代に安定したとされ、寛永通宝が増鋳されてビタ銭の多くはオランダ船で東南アジアへ輸出され、この頃までに銭貨は寛永通宝にほぼ一元化されました。一方、額面で価値が表示された金貨は、長年の使用で摩耗して金の含有量が減少すると価値が下がり、市場から嫌われ流通しなくなったため、流通貨幣を回収して新しく鋳造し直す貨幣改鋳が必要とされました。

 貨幣改鋳の理由として、幕府財政悪化に対応するための改鋳出目益の獲得が強調されますが、1714~38年は貨幣価値下落による物価高騰への対応などから金属含有量を増やした良貨改鋳も行われ、金銀相場調整を目的として銀貨のみの改鋳が行われた場合もありました。とはいえ、大部分の貨幣改鋳では、金貨は同じ額面で含有量を減らすため小型化され、銀貨は純分率を落とした悪鋳となりました。それにより幕府は市中から回収した金貨・銀貨額以上の額の貨幣を発行でき、その差額から鋳造コストを引いた分が出目益として幕府収入となりました。金銀貨は、江戸・伏見・京都・大坂など特定の地域に設置された金座・銀座で鋳造され、銭貨は全国各地に設置された銭座で鋳造されました。

 

18世紀における貨幣改鋳と幕府の経済政策(2/2)に続きます。

参考文献

・日本経済の歴史(名古屋大学出版会)