ogurakaikei’s ブログ

会計・税務及び経済関連(時々雑談)

17世紀における石高制・身分制と「鎖国」体制(2/4)

近世社会は武士と農工商の分離=兵農分離を軸とし、住民の自治的な共同体である村や町という地縁的な諸身分集団を基礎とする身分制社会とされます。その起点となる兵農分離は、豊臣政権の刀狩りに求められることが多く、その際に在地内で「侍分」という階層を形成するか、領主層と結び付いて「郷士」身分を獲得するかに分岐していったと考えられます。農工商についても城下町形成の際に、商人・職人は城下町に集住させられ、村落から切り離されたと考えられています。保内商人なども六角氏が城下町を形成するとそこへ集住させられました。城下町で楽市令が出され、商工業者が集められ、交通の要衝となり、遠隔地商人が城下町や湊町に拠点を置くことにもなりましたが、在郷商人として村落に所在し、近隣の地域間商取引に従事する商人も存在していました。

 

17世紀における石高制・身分制と「鎖国」体制(3/4)に続きます。

参考文献

・日本経済の歴史(名古屋大学出版会)