ogurakaikei’s ブログ

会計・税務及び経済関連(時々雑談)

17世紀における石高制・身分制と「鎖国」体制(1/4)

石高制とは、村を単位に田畑屋敷の面積を測量して石高を算定し、その石高をもとに豊臣氏徳川幕府から大名に、大名から家臣に領地を石高であてがい、石高に対応した軍役の奉仕を義務付ける一方、村は石高に対応する年貢を米で領主に納める関係から構築されました。この石高制を作り上げたのが全国統一基準で行われた太閤検地とされ、太閤検地は、領主が収穫高の約3分の2を年貢として収取するという理念を示し、村落の旧小領主層を百姓身分とし、彼らが得ていた中間得分をかなりの程度否定する一方で、百姓に収穫高の約3分の1の作得を公認・保障した点で、作人層にとって「進歩的」側面もありました。

17世紀における石高制・身分制と「鎖国」体制(2/4)に続きます。

参考文献

・日本経済の歴史(名古屋大学出版会)