ogurakaikei’s ブログ

会計・税務及び経済関連(時々雑談)

17世紀における石高制・身分制と「鎖国」体制(4/4)

太閤検地徳川幕府の検地では、耕作者が年貢負担者と定められましたが、実際の年貢納入主体は「村」単位で、もし年貢を納められない百姓が村内にいた場合、村はそれに代わって年貢を納める必要がありました。それゆえ村がその領域内の土地所有関係に関与し、村掟で村の土地を他村の者に質入れ・売却することを禁止・制限している場合も少なくありませんでした。土地移動においては、永代売と併存して質入れから質流れの形態が取られた場合が多く、質流れになった後でも質地請戻し慣行の存在により、百姓は質入れした耕地の請戻しに努めました。売買・質入れなどの土地契約の有効性を、親類・五人組・村役人らが証文に連署もしくは奥印として保証しており、その意味で近世百姓は石高で検地帳に登録された土地を村の関与のもとに所持していました。

 

参考文献

・日本経済の歴史(名古屋大学出版会)