ogurakaikei’s ブログ

会計・税務及び経済関連(時々雑談)

17世紀における石高制・身分制と「鎖国」体制(3/4)

中世から近世への移行期にあたる15~17世紀は、地理上の発見により「新大陸」を含む地球規模での世界史が登場した時代で、ヨーロッパ勢力のアジアへの進出のなかで、本格的に東西文明が出会いました。東アジアの一員であった日本もこの影響を受け、織田・豊臣政権でのスペイン・ポルトガル貿易の発達のうち、徳川幕府によって限定された窓口のみで外の世界との関係をもつ「鎖国」体制が構築されました。その場合の限定された窓口は、正式な貿易港として幕府が管理貿易を行った長崎と、朝鮮との通交の窓口となった対馬琉球との交易を行った薩摩、アイヌとの交易を行った松前でありました。対馬藩の宗氏、薩摩藩の島津氏、松前藩松前氏はいずれも中世以来その地域で連続する大名で、それぞれの地理的関係から中世から対外関係を担ってきました。それを徳川幕府は取り込んで再編成したのに対して長崎は、幕府派遣の奉行が支配する直轄地であり、長崎ではオランダ船と中国船のみを民間の貿易船として扱い、中世以来の通交関係の延長ではありませんでした。

17世紀における石高制・身分制と「鎖国」体制(4/4)に続きます。

参考文献

・日本経済の歴史(名古屋大学出版会)